ここは、グアムを含むマリアナ諸島の豆事典。
(1)マリアナ諸島の地図
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▼ ドイツの植民地統治
太平洋の諸島は、その面積が小さかったので、ヨ−ロッパ諸国は、植民地にしようとはしませんでした。1871年にドイツ帝国が領土を統一すると、植民地獲得競争に乗り出し、まず、アフリカ、続いて太平洋に進出しました。
やがて、ドイツ帝国は、西太平洋の諸島をほとんどを植民地とし、海軍の補給基地や要塞を設けました。これをみて、イギリスやフランスもその価値を改めて知り、急拠、その獲得を押し進めたのです。
こうして、20世紀初頭までに、太平洋の全域が、ヨ−ロッパ諸国の植民地となったのです。
▼ 第一次世界大戦と日本
ドイツ帝国は、やがて、植民地競争や領土拡張の摩擦から、フランスやイギリスと対立し、1914年にサラエボにおいて、オ-ストリアの皇太子が、セルビア人青年の銃弾にたおれる、という事件が起こりました。この事件をめぐり、第一次世界大戦が始まったのです。
ドイツは太平洋のほかに中国にも植民地を持っていましたが、日英同盟に基づいて日本も参戦し、太平洋の海戦や中国での戦闘においてドイツ軍を破り、その植民地を占領しました。1918年にドイツは降伏し、第一次世界大戦は終りました。
この戦争の終戦処理のために、国際連盟が発足し、国際連盟の決定に従い、カロリン諸島、マーシャル諸島、マリアナ諸島(グアム島を除く)などは、日本の委任統治領となりました。そして、「日本委任統治領南洋群島」と命名され、行政庁として「南洋庁」が設置されました。1922年のことです。
▼ 日本の委任統治
第一次世界大戦において、敗れたドイツは海外植民地をすべて奪われました。連合国であった日本は、1922年、ヴェルサイユ条約によって南洋諸島の赤道以北(グアム島を除く)を委任統治することとなりました。その際、赤道以南はオーストラリアおよびニュージーランドが委任統治することになりました。
日本は南洋群島の委任統治が決まると、開拓のために南洋庁を置き、国策会社の南洋興発株式会社を設立しました。そして、島々の開拓、産業の興隆をはかりました。
また、国際連盟脱退後は、パラオやマリアナ諸島、トラック諸島は海軍の停泊地として整備し、それらの島には軍人軍属、軍人軍属相手の商売を行う人々が移住しました。また、新天地を求めて多くの日本人が移住し、その数は10万人に上ったといわれています。
教育の面では、日本人の子供たちのために学校が開かれ、現地人の子供にも日本語による初等教育を行いました。1941年(昭和16年)にはパラオ放送局が開局し、ラジオ放送が開始された。
▼ 南洋群島における時差 南洋群島では時差があり、東部標準時(ヤルート・ポナペ地区)が日本標準時+2時間、中部標準時(トラック・サイパン地区)は日本標準時+1時間、西部標準時(ヤップ・パラオ地区)は日本標準時と同じでした。