ここは、グアムを含むマリアナ諸島の豆事典。
(1)マリアナ諸島の地図
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▼ 第二次世界大戦(太平洋戦争)と南洋群島
第二次世界大戦では、南洋群島やその周囲は戦場となり、日本軍とアメリカ海兵隊との間で、はげしい戦闘が展開されました。多くの戦死者を出しました。特に戦略上、最重要拠点の一つであった、サイパン島での戦闘は凄惨を極め、在住日本人1万人以上が戦死したり自決したと言われています。
激戦の末、サイパン島はアメリカ軍にせんりょうされ、その後日本本土を空襲する重要拠点となりました。テニアン島は原子爆弾を搭載した爆撃機の発進基地となったことはよく知られています。1945年8月10日に日本が無条件降伏を受諾し、第二次世界大戦は終わりました。しかし、それまでに南洋群島は、アメリカ軍にほぼ全域を占領されていました。日本において、国民は、8月15日に終戦の詔書をもって、戦争の終わったことを知らされました。
▼ アメリカの信託統治
第二次世界大戦終結後、南洋諸島はアメリカ合衆国の占領したに置かれ、1952年の日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効すると、正式にアメリカの信託統治領となりました。
また、アメリカは終戦後すぐに、ビキニ環礁において史上4発目の原子爆弾を炸裂させ、この地を放射能で汚染した。その後、初めての水素爆弾実験場にも選ばれ、ビキニ周辺は幾度となく核兵器の実験場となった。実験に際して多くの住民がほかの島々へ強制移住させられた。 1980年代から各地で独立運動が起こり、対米交渉や住民投票を経て、軍事を除く自治権を獲得した。そして自由連合の名のもとにパラオ・マーシャル諸島・ミクロネシア連邦が1994年までに独立した。ただし、北マリアナ諸島は独立せず、アメリカとの交渉の結果、コモンウェルス規約を締結し、現在に至るまでアメリカのコモンウェルス(米国自治連邦区)となっている。なお、先の核実験の影響から、これらの国では核に対するアレルギーが、原爆の攻撃を直接受けた日本と同等、またはそれ以上とも言われており、南洋諸島では非核条約ラロトンガ条約が結ばれている。 当初は南洋諸島全域をひとつの連邦国家として独立させる計画であった。詳しくは信託統治#太平洋諸島の項を参照されたい。